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大の負け嫌い

大の負け嫌い、そして引分嫌いで強引な相撲も取るが取りこぼしは少なかった。それでも玉椿などしぶとい相手には手を焼くことがあったという。
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彼の弟子である大錦、栃木山、常ノ花の3横綱はいずれも師匠の影響だと言って土俵入りの際太刀持ちを左に立たせていたそうだが、常陸山引退土俵入りの写真を見ると不思議なことに太刀持を勤めた太刀山峯右エ門は右にいる。その土俵入りは、せり上がりこそ現在雲竜型と呼ばれるものに近いが、拍手の直後に両腕を広げるという現在では見られないものであり、初披露で間違えて行なったものが吉田司家による検証の結果、過去にもあったと考えられる資料(不知火諾右エ門の錦絵であったらしい、綱姿で両腕を広げたものが現存)が見つかり最後までこの型を通した。ところが、これを継承するものは誰もおらず、もし将来誰かが突如この土俵入りを行うと言い出せば「常陸山型」と呼ばれるべきものであろう。この型は梅ヶ谷と共に映像が現存するので確認可能である。

武家に生まれた影響か〈力士は侍である〉との思想の持ち主で、現役時代から力士の品位を向上させる努力を怠らなかった。また弟子への指導の厳しさは有名で、稽古場では常に愛用する青竹のステッキを持っていた。後の横綱たちをしても、彼が稽古場にこのステッキを持って現れれば、震え上がったという。悪い相撲をとったり稽古をしなかったりすると容赦なくこのステッキで殴っていたが、逆によい相撲をとれば賞金を出し、時にその金額は10円にも達したという。土俵外の生活においても厳格で、力士には絣の着物と袴の着用を徹底させ、門限に1分でも遅れたものには大関といえども容赦なくステッキを飛ばした。御大将を略した御大の名で呼ばれていた。

新しもの好きで早くから自動車に乗り、外国からウイスキーを取り寄せて飲んでいたという。またちゃんこや後援会の習慣の創始者としても伝わる。

軍人の八代六郎海軍大将、広瀬武夫海軍中佐とは意気投合し、義兄弟の盃を交わした仲であった。常陸山が横綱に昇進した時期は折しも日露戦争開戦直前で軍人の広瀬は多忙を極めており、常陸山の横綱の晴れ姿を見る事ができなかった。そのため、戦地に赴いた広瀬から、常陸山の横綱姿をいまだ見ていないため、土俵入り姿の写真を送って欲しいとの旨の手紙が送られて来たので、慰問文と共に写真を送ったものの広瀬の戦死(1904年3月27日)に間に合わず、それを知ると泣き明かしたと言い伝えられる。

また、この広瀬との縁が常陸山どころか出羽ノ海一門をあわや全滅という危機から救ったことがある。1910年5月より出羽ノ海一門は朝鮮と満州において巡業を行い、その終了後、7月22日に大連より大阪商船の客船・鉄嶺丸に乗船して帰国する予定であった。ところが、乗船の間際になって常陸山が突然に「旅順へ行く」と言い出した。広瀬が戦死した旅順は大連からほど近い。せっかく大連まで来ているにもかかわらず弔いもせずに日本へ帰っては兄弟としての義理が立たない。今から旅順へ赴いて奉納相撲を行ってやりたい、というのである。かくして、出羽ノ海一門は乗船を取り消して旅順へと赴き、旅順神社にて奉納相撲を実施した。翌23日、一行が大連に戻ると町は大騒ぎになっていた。前夜に大連を出港した鉄嶺丸が、出港後間もない竹島灯台附近で沈没していたのである(この事故では200余名が死亡した)。常陸山の気まぐれにも等しい突然の旅順行きが無ければ、一行が乗船していた筈の便であった。無論、東京でも出羽ノ海一行は予定通りに鉄嶺丸に乗船しているものと考えており、両国界隈では常陸山の遭難を伝える新聞の号外が飛び交い、大連同様に上を下への大騒ぎになっていた。

相撲史上屈指の艶福家という評伝も残る。「あなたの子だ」と言ってつれて来られれば、ろくに調査もせずにすべて認知し、十分な援助をした。現在も日本中に「常陸山の傍流の子孫」を名乗る家は多い。

弟子の1人小常陸を養子とした。孫娘は笠置山の妻である。従弟に幕内御西山がいる。

慶雲館の生みの親である浅見又蔵氏の贔屓であったため、慶雲館の前庭に石像が造られた。

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2009年03月31日 09:26に投稿されたエントリーのページです。

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